~時代を1歩、いや3歩あとから追いつく読書、ピ、ラ、未、読~
(ピラ未読とは~ピラニアの如く貪欲に本を収集し、ピラミッドの如く読まずに積み上げる読書)
今回はエンターテイナー浅田次郎先生の
「勇気凛凛ルリの色」(講談社文庫)
この本は相当昔、たぶん世紀末思想が蔓延していた1999年ころに読んだ本で、裏表紙に紹介されている文を引用させてもらうと
「陸上自衛隊出身、ピカレスク人生経由、現在小説家。今や超多忙で絶好調、超有名とサクセスした直木賞作家が、理不尽な宿命を笑いとばす自伝的熱血エッセイ。涙あり笑いあり怒りあり哀しみあり、おのれの目標めざして突き進んだ男の、体を張った文章は、読めば思わずパワーが湧いてくる! 元気が出る1冊!」
とありますが、言い得て妙、本当に紹介文のとおり面白いです。
本の紹介はこれで終わりにして、買ってピラミッドの山に積んでいる読まれていない本があるのに、なぜ今さら読了した本を再読して紹介したのかというと、先日の旅行に行った際に車中のお供として携帯して行ったからなのです。
先日3連休の問答無用旅行に行ったてん末をブログに書いたのですが、旅行の道中、電車内での時間を読書でやり過ごそうと考えたんであります。そこで、鈍行の旅なのでかなりの時間が車内であることを考慮して2,3冊は必要か、いやマテよ、日本100名城の携帯本は必需品であるからして、なるべく荷物の重量を減らすなら軽い文庫本が最善か。などなど本選びに悩みに悩み出発の間際まで悩み、崩れる恐れと選ぶ手間がかかるピラミッドのように積まれた本の山から探すよりは、てっとり早く本棚から選出したのです。この本棚に移された本は、ピラミッドの山から選ばれし光栄な本であり、”読了してまた読むだろう”(ほとんど再読しないけど)と考えてた本なのです。
収容定員オーバーした私の小さな本棚から、今回紹介している「勇気凛凛ルリの色」と谷崎潤一郎の文庫本を選出。しかし重量を考えてこの文庫本2冊にしたのだけれど、帰宅時は3冊になってましたけど・・・・
前置きが長くなりました。この「勇気凛凛ルリの色」は週刊誌で連載していた短いエッセイをまとめた本なんですが、その一つの題材を読んで私も同じことに遭遇、いや、やったちゃったことについて書きたいと思います。
この本のエッセイの題材に「忘却について」と題した著者のエピソードが書かれています。その著者の「忘却」には足元にも及ばないのですが、私の最近の「忘却」について考えさせられた出来事がありました。
それは先日、消耗品を購入するため電気店で用件を済ませ、帰宅途中にある大型書店に見学だけのつもりで立ち寄りました。しかしついつい見学だけのつもりが、後先考えずピラミッドのことも忘れ、単行本を1冊衝動買いしてしまいました。これも「忘却」っていえばそうなんですが、このことではないのです。
本を購入するためレジまで行き、対応した女性店員が本にカバーをかけるかどうか尋ねてきたのでお願いしました。そして本の代金を紙幣で支払ってお釣りを受け取り、「良い本に出会えた満足感」でウキウキしながら店を出ました。
店を出てから何やら後方が騒がしいので振り向くと、さきほど対応してくれた女性店員が「お客さん、品物っ!」て叫んでました。私は手には先ほど購入したビニール袋を持っていたので、何を言われているのか理解できなかったのですが、よく見ると手に持っていたそのビニール袋は書店より先に立ち寄った電気店のものでした。
自分がつり銭を受け取り、手には電気店で購入した品物が入っているビニール袋をもってたので、本を受け取ったと勘違い。店員が下を向いて本のカバーをつけてもらっている間に、目の前の客はなし。ってことを一瞬で理解しました。
私は慌てて追っかけてきてくれた店員の方に平謝り。
その夜のちょうどよくというか、当て付けというかテレビで「認知症」についての特集をやっていたのでちょっと怖くなりました。
この自分のエピソードを書きすすめているときに、忘却とは少し毛色が違うことですが若い時の出来事を思い出しました。
それは、たぶん私が20代なかば、雨が降りしきる初夏の夕方のことでした。私は仕事帰りに趣味でやり始めた無線関係の機材を購入するため、実家の最寄り駅からかなり離れた(約2キロ)電気店に歩いて行きました。強い雨が降っていたので、徒歩で店まで行くのはかなり濡れることが予想できましたが、なんせ趣味のものとなるとやはり早く欲しいとう気持ちが勝り、その電気店に向かいました。
背広のズボンの裾は当然のことで半身ビチョビチョになりながらも電気店までたどり着き、お目当ての機材を購入しました。
購入した物は大きさが縦横50センチくらいの段ボール入りで、片手でやっと持てるほどの重さのした。
仕事帰りなので仕事関係のものがいっぱいに入ったビジネスバッグをもう一方に持ち、そのうえその手で辛うじて傘を持ちながら店を出たのです。私は帰宅後の楽しみを思い浮かべると、重たい荷物も気にならず意気揚々ともと来た道を駅まで戻り始めました。
電気店を出てからすぐに、初夏の蒸し暑さで異様に咽の渇きに襲われたので、近くの清涼飲料水の自販機を探しました。
幸い道沿に清涼飲料水の自販機が見つかりすぐさま財布を取り出し、まだ100円で大体の飲料は買えた時代だったので100円硬貨を投入して炭酸飲料を購入しました。購入したのはよいのですが、、品物を取出口から取り出そうとすると荷物と傘が邪魔して一苦労の動作でした。
やっとのことで品物を取り出してその場で飲もうとしたところ、展示品の下にある、全購入ボタンのランプが点灯したのです。その自販機は硬貨の投入口付近にデジタル表示板がついており、”当たり”が表示されるともう1本もらえるものでした。
私は「ツイている、ラッキー」とばかり、すぐさまアイスコーヒーを選んでボタンを押しました。私はまだ飲んでいない炭酸飲料の缶をビジネスバッグに辛うじて詰め込み、苦労してコーヒー缶を自販機から取り出しました。
「おや、また当たった!」なんと、また、購入ランプが全点灯!「なんてツイている日だ、わざわざ買いに来た甲斐がある」と、バッグは収用オーバーのためコーヒー缶を背広ズボンのポケットに押しこみ、3本目はつぶつぶみかん果肉入りの購入ボタンを押しました。荷物を持っての3回目の取り出しは、当たりのうれしさ半減どころか拷問にさえ思えてしまいましたが。
3回の取り出し作業で、汗だくと咽が乾いてひっついてしまい息も絶え絶え、さらに驚愕の事実が判明してその場にヘタリこみそうになりました。
な、なんと、また全点灯。さすがの私もちょっと変であると気付きました。デジタル表示板を見れば〝当たり"の表示ではなくただ単に
「200円」
と表示されており、朦朧とした頭を回転させて計算してみたところ
「3本取り出したということは、300円になる・・・・ってことは」
そうです、私が最初に100円硬貨を入れたつもりが、〝500円硬貨"を投入していたのです。当たりでもツイているのでも何でもなく、冷たい現実を思い知ったのです。
手に持った「つぶつぶみかん果肉入り」ジュース缶が俺を嘲笑っているかのように見えました。
私は自販機前で一番最初にかった炭酸飲料を無理やり飲みほしましたが、炭酸がお腹にたまり、2本目は飲むことができず。残り2本を捨て置こうかと思いましたが、生来貧乏性なので1本は何とかバッグに押しこみ、もう1本はズボンのポケットに押し込んで持ち帰りました。
雨の中、濡れ鼠とかし自分のアホさ加減と取り出し作業でかいた汗が、初夏の暑さも忘れるほど、寒く感じさせらた出来事でした。
今だに鮮やかな「みかんと果肉」の絵が強烈な印象を残し、似たようなジュース缶の絵柄を見ると、フラッシュバック、走馬灯のごとく、この出来事が思い出されるのであります。
こう考えると私は単に「オッチョコチョイ」なのか。しかし、近ごろ簡単な漢字や人の名前を思い出せぬことが多くなった気がする・・・・やばいかも。